共感されないこともいっぱいあるわけよ人生。
そりゃそうだ。だってひとりひとり違う人間。違うことを感じるのは当たり前で。
でも、共感されそうなことの方が話しやすいよね。
だって敵を作りにくいもんね。ややこしいことにもなりにくい。会話が弾む。
でもさぁ!!!そんな話ばっかじゃつまんなくない!?!?!?!?!?!
と、たまに思うわけだ。
処世術として、共感するって手段を覚えてから、それを便利に使ってきたな〜って自覚がある。昔は無意識だったけど、最近自覚した。
とりあえず共感しとけばうまくいくことが多い。特に女子の間ではその傾向が顕著な気がする。
あ、ジェンダーにうるさい昨今こういうことも言いにくいよね。「女子は〜」とか「男子は〜」とか。
でも私は性差はあると思ってる人なので普通に使うぜフハハ。
理不尽な格差とか差別はなくなっていくといいよね。って、私の言うことも差別に入っちゃうのかな?う〜ん難しい。
話が逸れたけど。
私が無意識にやってた「とりあえず共感」。
別にこれをすることで自分の好き嫌いがわからなくなるとか自分軸が失われた感じは全然ないけど、でも、なんというか、そのときの自分の快適を犠牲にしたなって感じがある。
その場はうまくいくかもしれないけど、終わってから疲れてたりとか「本当はこうしたかったな」って気持ちになったりとか、ちょっと摩耗された感覚になるというか。
これね〜〜〜やめようと思う。
というか最近やめつつある。
会話が弾まなくてもいいじゃないか。ちょっと変な空気になってもいいじゃないか。(嫌だけど)
共感ばっかじゃつまんないって思ってるなら、自分が変わらないと。他人を変えることはできないんだし。
んで、ツイッターでも共感されなさそうな話題について呟くのを無意識に避けてた気がするんだけど。
これもやめようと思う!
フォロワー減ってもいいじゃないか!しょうがないよ!合わなかったんだよ!それはいずれ切れる縁だよ!
まぁ減ったらそれなりに凹むんだけどさ!!!!でもしょうがないじゃんねぇ。
たぶん、無意識下で「嫌われたくない」って気持ちが働いてんだろね。
だから共感して「同じ気持ちですよ〜」「敵じゃないですよ〜」てして、できるだけ嫌われにくい状況をつくってるんだろね。
嫌われないようにしたって嫌う人は嫌うし、むしろ嫌われないようにすればするほど逆効果って話もあるしね。
わざわざ言わなくてもいい話もあるけど。
「共感されそうにないから話したいけどやめておこう」って意識があるなら、それは話したらいいんじゃないってやつです。
共感するのが上手なら、共感しなくてもいいよってのを自分にやってあげようぜ。