ぶっとびの生きてる間

ツイッター以上、ブログ未満

特別にも一般にもなれない中途半端な私について【昨日の続き】

昨日の記事の続きみたいなものを上げとく。

実はこれも昨日書いてたんだけど、なんかここまで書くと一番言いたかったことが薄まっちゃう気がして、ちょっと言いたいことが逸れちゃう気がして
じゃあ記事分けた方がいいかな〜って避けといたんよね。

 

昨日言いたかったのは、

「特別じゃない人の何気ない日常が知れるのがブログのいいとこでもある!」で。

 

ここから先は、特別にも一般にもなれない「私」について。

 

・・・・・

私の場合は、特別な人になりたいって気持ちがずっとあってさ。

誰かの一番になりたかったし、親友とか恋人っていうカテゴリーにすごく憧れてた。
クラスで一番〇〇な人、みたいなやつでも名前が入ってると嬉しくて。

あと、自分の好きなものが結構どれもマイナーだったから、周りを見ると競争相手ってそんないなくて。(ゲーム音楽好きなんて普通はその辺にいないじゃん)
その分野で特別になれば強いぞ!みたいな気持ちもあった。

それがいつしか「ならなきゃいけない」くらいにまで膨れ上がってた節もあって。

昨日書いた通り、世の中は特別な人の話ばっかりするからね。
特にネットがまだこんな普及する前は、メディアといえばテレビ、本、雑誌くらいしかなかったし。


でも30半ばにして、そろそろそれを諦められるような気がしてる。
実績を求めるのをやめたーとか、「好き」を大事にしてありのままで生きたいーとか、
そういうのを求めるようになって。
それって引いては「特別な人」を諦めようとしてるってことかなーっていう。

「特別ななにか」になろうとするのをやめて、「わたし」を追求してるのかなぁって。

諦めるの、遅いのかもしれないけど、
いいんだよ私には私のペースがあるんだから!

 

・・・・・

私は自分のこと中途半端だと思ってるけど、
でも誰かにとってはほかでもない「私」なのであって、それは紛れもない「特別」でもあるんだよなぁとも、思ってるんだよね。

だから私が思う「中途半端」っていうのは、あくまでも「能力」や「技術」のことなんだろうか。
パーソナルな部分ではないんじゃないか?
逆にパーソナルな部分っていうのは十人十色でみんなが唯一無二だもんねぇ。

 

結局「特別」っていうのはビジネスになるんだろうなぁ。
「普通」とのギャップがあればあるほどインパクトがあるから目立つわけで。
お金になるからコンテンツになるわけで。

だからやっぱ「お金を稼ぐ」ってことから離れたら、別に何かが特別である必要はないのかなという気もする。

 

てことは意外と、特別になりたいっていうのはお金の心配と密接に関わっていて、
お金に対する漠然とした不安が昔より薄れつつあるからこそ、「特別になりたい」って気持ちも薄まってきてるのかもしれないね。

 

えーおもろ!そうかも!発見!

 

あとあれね、どっちの自分にもまるをつけるってやつね。

中途半端でもいいよー。特別でもいいよー。
誰かの一番でもいいよー。誰かの一番じゃなくてもいいよー。

 

『足るを知る』って話です。マジで。大抵のことがここに集約する。足るを知る。

そうやって、少しずつでもいいから、自由になっていきたいですね。