なんかいつも同じような話してるなって自分でも思うんだけどさ。
「書くこと」で自分をリセットしてってるというか、
書くことで自分軸に返ってってるというか、
同じか。
まぁでもそういう感じがあるんだよね。
「文字にする・書き起こす」って行為は、
自分の中にあるふんわりぼんやりとした考えや気持ち、思考回路的なものを
「文字」「言葉」というものに定着させることだと思うんだけど。
そのほわほわと、自分の中に漂ってたものを、
文字・言葉に定着させるから安定して、それでしっかり軸が定まってくっていうのかな。
それでやっと形とか質感とか温度感を伴うものになるというか。
そうなって初めて「もの」として認識しやすくなるというか。
だから言葉や語彙がいっぱいほしいなと思うんだよね。
元々ふんわりぼんやりしてたものを定着させるとき、できれば一番しっくりくる形で定着させたいじゃない。
でも、適した言葉が見つからなかったとしても、一度何か「もの」にしておくと、
そうなってみて初めて「違ったな」って思えたりもしてさ。
「怒り」に定着させてみて、「怒りというもの」を見つめてみたら違和感を感じて、
そこで初めて「あぁ私は怒ってたんじゃなくて『悲しかった』んだな」って気づいたりするじゃない。
だからなんにせよ、言葉にするのは自分を知る良い手段だと思うんだよね。
自分という存在とは一生付き合ってくわけで。
自分がどういう人なのかを知れれば、その人を幸せにすることもできるじゃない。
人生って、ずっと自分を知っていく道筋なんだろうなと思う。
・・・・・・・
「書くこと」について書くのももう何回目?って感じだけど、まぁそんなの関係ないぜ!
私が書きたいときに書きたいものを書きゃーいいのよ!
ちなみにメインブログでは2018年に日記について記事にしてたみたい。
そしてタイトル、「書いて言葉に定着させて、自分を知っていく話」にしたけど、
うーん、タイトル付けが一生苦手だ〜〜〜
しかし熟考する気力はもうなかったのだ〜〜〜へっへ