ぶっとびの生きてる間

ツイッター以上、ブログ未満

日々のノイズで自分が濁っていく話、それを取り払うのはやっぱり「好き」だって話

昨日のセッション楽しかったな〜!

数年ぶりのセッションで、演奏についての自分の心境とか気持ちとか内なる声に気づいた面がいっぱいあって、それはメインブログにまとめようと既に書き始めてるんだけど。

※書きました。


そことはちょっと違う観点で思ったのは、

なんというか、ああいう、本当に楽しい時間、好きだなって時間を過ごすと、日常生活の中でどれだけノイズに囲まれてるのかがわかる気がする。

「自分」を濁らしてくノイズ。
普段全然意識してないけど、きっとめっちゃいっぱい取り入れちゃってるよね。

 

本当に楽しいこと、好きなものに浸かってると、そのノイズが取り払われてく感じがする。

あぁそうだった私はこういう時間が好きなんだった。こういうのが楽しいんだった。
終わった後のこの充足感。幸福感。
とても気持ちよくて、晴れ晴れしてて、ワクワク、スッキリ、じんわりと感謝の気持ちも湧いてくる感じ。

これも一種の自分に戻っていく感覚で。

 

こないだ大好きなカフェでおひとりさましてるときも同じ。自分に戻ってく感覚。

最近なんでも書く小さなノートを持ち歩いてるんだけど、そこにあれこれ浮かんだことを書いたりしてさ。
そこに

「人目を気にしてない、『やってんだー』って見せたいわけではない、自分のための時間。こういう時間大切にしていきたいなー」

って書いてあって、やーもーほんとそうね!って。

こういう自分の内なる声って拾い上げて書いとかないと、意外とすぐ忘れちゃうんだよね。
大事にしたいなーって、本当に思ってるはずなのに、日々に埋もれてしまう。

そうやって埋もれさせていくのが日々のノイズで。

世界のペースに踊らされてると、自分のための時間を取ることをもったいなく感じたりとか、
(まったりカフェで意味もなく過ごしてる暇があったら〇〇の腕を磨くために練習した方がよくない?みたいな気持ちになったりするわけ)

お金への不安があると、自分のためだけに特に必要性もなくカフェに行くのに引け目を感じたりとか、
(次の用事までの空き時間ーとかなら必要性を感じるから許されるんだよ、変な話だよね。なんだ許すって。)

 

何が大事?って話でもある。
自分が快適に過ごすこと、幸せでいること。それがとても大事なのに、ノイズに邪魔されて見失いそうになる。

 

ここまでくると、そろそろ「あ、これはノイズだな」ってわかるようになりたいね。
ちょっとその片鱗は見えてきてるな。

あ、この人のこの発言は自分にとってはノイズだ。適当にうけながそ〜
あ、今私が思ったことはきっと自分を濁らせるな。こういう自分の声は出来るだけ矯正していきたいな。

そんな感じでノイズに接しても取り入れないようにしていきたいね。

 

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ところで、こないだうっかり「自己啓発」ってカテゴリー増やしたら「気づき」との違いが曖昧になっちゃって(そんときは「気づき、じゃないなぁ〜」って思ったんだよ)、
なんかもうカテゴリー分け本当苦手だよ!!!!!!!!!