ぶっとびの生きてる間

ツイッター以上、ブログ未満

解像度の高い情報が優しく諭してくれる

先日めちゃくちゃ久しぶりに身内以外の複数の他人と長時間おしゃべりしたわけだけど。

他人と話すの楽しいーーー!!!
ってなっただけでなく、なんか思ったより自分にとって必要なことな気がした。

話した人たちがみんな友人の友人的な立ち位置で同年代なのもあると思うけど、身近な事実をいっぱい聞くっていうのがいい気がする。

 

ネットであらゆる情報が手に入るようになった昨今。
そのわりに情報の信憑性は疑問で、しかもその情報は焦点が当たっているところだけを切り取られたものばかりで。

キレイなものやキラキラしたものの裏側はわからないし。
逆に病んでたり暗いものはその暗さの外側は話されない。

でも実際身近な人に会って会話をすると、なんというかその情報の解像度が高い感じがする。
情報の周辺も同時に入ってくるからだと思う。外見や話し方、住んでる場所、考え方など。(もちろん聞かなきゃわからないことも多いけど)

例えばだけど「美人でもめっちゃ歯並びキレイってわけじゃないんだな〜」とか
「健康的でも3食しっかり時間通りに食べてるわけじゃないんだな〜」とか
「めっちゃしんどかったときの話を今は普通に話せるんだな〜」とか
(※おしゃべりした人たちに感じたことではありません)

これらの場合、ネットだと「美人」、「健康」、「しんどい」or「立ち直れる」ってとこだけが見える(だけを見せてる)って感じがする。

 

だから私みたいな完璧主義に片足突っ込んでたり、理想が妄想だと気づけない人は、解像度の高い・肌で感じられる情報を入れた方がいい気がした。

今目の前で開示されたまぎれもない事実を、すんなり受け入れられる気がする。
事実が優しく気づかせてくれる気がする。私の理想は妄想であって現実的にはほぼありえないんだってことを。

無理に納得させるんじゃなくて、優しく。
だったら変に拗れることなく、きっとゆるやかに納得できる。

 

そういう意味では、ツイッターはある種そういう側面あるな。
普段のツイートから日常や人となりが見えてるから、身近な事実として捉えられるんだろうなぁ。