ぶっとびの生きてる間

ツイッター以上、ブログ未満

できない・やらないを他人に見られても怖くなくなった話

元々オープンな方だと思うけど、ここ最近もう一段階オープンになってきてる気がする。

 

サブログ=ここを書き始めたのも多少関係あるかもしれない。

なんというか、できないことを見せるのが怖くなくなった感じがある。

いやまだ怖いこともいっぱいあるけど!!!!!!
でも、例えば3年前に比べたら……だいぶ軟化した気がする。
(軟化?違う気がするけどなんか表現としてしっくりきてるな)

 

昔も、元から苦手だったことを「できなーい」ってするのはできてたんだよなぁ。

運動苦手でーす。走るの遅いでーす。めんどくさがりでーす。好きじゃない人と会いたくないでーす。など。

 

でも音楽面では、やりたくない・できないことをそう言ってはいけない気がしてて。
できなくても、やりたくなくても、せっかくのチャンスだからやる!みたいな。
できるようにならなくちゃ!みたいな。

無意識にそう思ってた気がする。

ん〜これも前ちらっとメインブログに書いたな?

buttobimusic.hatenablog.com

この「武器を捨て、穏やかに好きなように」。
これが加速してる感じなんだろうな。うん、しっくりくる。

できないことを無理してやらない。
やらないことに罪悪感を感じない。

この二つ。両方ともすごい大事だと思う。
特に二つ目!これもセットでやっと一つ目が生きるよね!!

前の私だったら「できないけど(無理して)やってみよう」って真っ先に思ってたと思う。
あと「できないなんて……ごめんなさい……私にはこれが足りないから……」みたいな精神もあった。

これがなくなるとだいぶ健やかに活動できるようになるよね〜。

できないからやらなーい。
できるかもしれないけど、やりたくないからやらなーい。

「やらない」を選べるようになった自由が自分を楽にしたし、
それを選んだことを普通に言えるようになった。とってもいいことである。

ご依頼ページに「これは苦手です」「これはできません」って書くの怖かったもんなぁ〜。

 

これはきっと、見栄やカッコつけをやめるってことで。
「背伸びせず、小さくも見せず、等身大=自然体でいたい。」っていうのにも繋がってるよね。

 

あー今突然ピーンときたけど。たぶん私自身が嫌だったんだろうなぁ。
それを「できない」ってするのも、「やらない」ってするのも。

できない私、やらない私を、私が認めたくなかったんだと思う。
「できないんじゃないもん!やらないんじゃないもん!今はちょっと理由があってやってないだけ!」みたいな。

だから他人に見せるのも嫌だったんだろうな。自分の嫌な面は他人に見せたくないもんね。

ようやく諦められるようになったんだろうか。
諦めは、それすなわち『受容』で受け入れるってことだからね。

もっともっと加速してったら、なんかいい景色が待ってる気がするなぁ!



ぶったぎってどうでもいい話をふたつ。

当ブログ、お色を変えました。爽やかブルー!
あとこの記事のURL「dekinai-yaranai-kowakunai」で語呂がいいw