ぶっとびの生きてる間

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東京都写真美術館「セレンディピティ」に行って感じたこと

今日、東京都写真美術館の「TOPコレクション セレンディピティ 日常のなかの予期せぬ素敵な発見」を観に行ってきたんだけど、これがとてもよかった。

いろいろと思うところがあって、まさに「セレンディピティ」な体験をしてきたなぁという実感。

セレンディピティ」という言葉があります。「セレンディップの三人の王子」というペルシアのおとぎ話を由来とするこの言葉には、「偶然と才気によって、予期しない発見をすること」という意味があります。
(サイトの紹介文より抜粋)

写真そのものに対して思うこともいっぱいあったんだけど、自分についてとか、もうちょっと写真の外側に対して思うこともあって、少なくともそれは記録しておこうかなーと23時近くに慌ててこれを書いてる。

 

まず、私は何気ない日常を切り取ったような写真が好きだね。

ツイッターで好きな写真家さんをフォローしてるときからそうなんだろうなと思ってたけど、展示会でより強く思ったね。
自分がそういう写真しか撮れないからか?とも思ってたけど、そんなことはなさそう。そういう写真が好きだから自分でも撮ってるみたい。

モチーフそのものにすでに強い意味があるものには、あんまり魅力を感じないみたい。
病気の人とか、赤ん坊とか、富士山とか。

まぁそもそも比較的人間には関心がない方で、もっぱら風景とか物とかを写してる方が好きなんだけど。あでも人間が風景の一部になってる分には興味はあるかな。

富士山なんかは綺麗な風景の写真として見るのは好き。
でも「きれいだなー」で「おもしろいなー」にはあんまりならないというか

写真のおもしろさというより、富士山のすごさとか富士山の綺麗さとか、そこに映されてる物に焦点が当たる感じになるというかね。人物の場合もそうだね。
写真というものを通り越して、被写体に向かってく感じ。それが個人的にはあんまり。"写真"を楽しみたいというか。
ん〜〜〜日本語難しいな上手く表現できん。

 

作品として何枚も展示することで生まれる意味っていうのも感じた。

別に綺麗ではないただの玄関の靴の写真とか、そのへんの駐車場の向こうに吉野家の看板が見えてる写真とか、なんの変哲もないホースとか、鉢植えとか。
そういう写真が<日常>って題の中で展示されてて、「あぁ確かに人生って別に綺麗だったりドラマチックなことばかりが起こるわけじゃなくて、むしろそれは稀で、こういうなんでもないものが日常だよなぁ」と思ったり。
これって、その写真1枚だけを見ても感じられなくて。<日常>というタイトルの中で何枚も展示されてたからこそ感じられたよなぁと思うんだよね。

 

あと、途中全然関連性のない2枚を並べて展示するシリーズがあったんだけど、これも勝手にこっちが関連性を見出すよなぁってところがおもしろいなと思った。
「鑑賞者が勝手に意味を見出す」っていう観賞の仕方自体は珍しいものでもないしわりと頻繁に、日常的に行われてることだとは思うんだけど。

私の場合、対比より類似に焦点があたりやすいなという発見があっておもしろかった。

鳩の写真とサツキの写真が並んでることで、鳩の口の中や胸元の赤に目がいくようになったり。
まぁるく整えられた植木とシマウマの写真が並んでることで、双方の丸みに意識が向いたりとか。

 

写真撮影の技術もすごい感じたな〜〜〜!!

何気ない1枚、私が撮ってもこうはならんのよなぁ!!!というね!!!!
なんでこう、収まりがいいんかね!?!?すごいよね!!!!

 

あと私はもっと自分の感性に従って写真をどんどん撮っていったらいいよねって思った。

なんか、ものによっては「綺麗な写真撮るなって思われたいからこの写真UPしようとしてるな」とか、そういうのあるよね〜〜〜ってして、「やめよう!?!?!??!?!」ってなった。
自分の感性に従って、自分の思うがままにやろうぜっていうね。
ほんと意外なくらい人目気にしてるよね私。自分で意外だわ。

 

他にもあるけどとりあえず満足したのでよしとしよう。

最後に、iPhoneで撮って加工して気に入った2枚を上げたツイートを。