ぶっとびの生きてる間

ツイッター以上、ブログ未満

誕生日を迎えて思ったアレコレ

こんにちは7月8日。つまり、ハローnew oldな私!←この文言気に入ってる

というわけで、本日誕生日です。どうもどうも。

朝からライブアライブの原始編クリアして十三機兵バトルもして、午後は姉夫婦とティアキンをやるっていう最高の一日の予定ですヒャッホウ!!!!!!ゲーム万歳!!!!!

まぁなにやらお天気はいまいちですし体調もいまいちな滑り出しだったので我慢せずお薬を飲みました。
おかげで元気。お薬ってありがたいよねほんと。元気になったので活動したくてブログを書きにきたってところです。

 

去年のこの日は残念な事件がありましたね。
私は誕生日を迎えるたびに一生その話を聞くことになるんだろうなと去年覚悟しました。そういう意味では、お誕生日が震災の日の方と「わかるよ」ってできるようになったのかもしれません。

まぁでもそれはそれ!これはこれ!

 

いくつになっても誕生日にお祝いされるのは嬉しいものです。

今日もまだお昼時なのにツイッターでみんなお祝いのリプ&いいねをくれて、幸せ者だなと心に染み入ります。本当に、心からそう思う。
そう思える日が一年に一回必ず訪れるというのは、なんと幸せなことでしょうか。

 

誕生日を特別な日にしようとすることは、昔より減りましたが、
でも誕生日を喜ぶっていう実感は昔よりある気がします。

昔の方が「特別な日にしよう」に一生懸命になってて、気持ちの方にまで焦点が定まってなかった感じがしますね。
だから特別なことがないと残念に思ったりしてさ。プレゼントがいまいちだったり、ケーキがおいしくないといつもより残念に感じちゃったりさ。かわいいねぇ!

誕生日も日常の一部で、特別にしてもいいししなくてもよくて、何があっても嬉しい日であることに変わりはないわけです。
そう思えるようになったってのは大人になった感じするね!!

 

生きてれば二十歳にも三十路にも40代にも50代にもなるわけで。
そういう意味では誕生日は特別なことではないかもしれないけど、でも今年も誕生日を迎えられるってことが、当たり前だけど当たり前じゃないというか。

ちょっと仰々しいことかもしれないけど、生きてるってそれだけで素晴らしいことだな、みたいなとこまで考えが及ぶわけです。なんかもう、それだけで尊いことだなっていう。

死んじゃったら歳も取れないですからね。

死生観の話にまで及んでしまった。

 

あとなんか、誕生日っていうのを理由に連絡がとりやすくなるよねって思います。
全然連絡とってなかった人に「今日誕生日だよね!おめでとう!元気?」って送りやすいじゃん。
はじめてのコメントとかもしやすくない?私はやったよ!あとこれからもしようかなって思ってるよ!どうなるかわかんないけど!(数年連絡してなかった方のお誕生日がこれから来るのでメールを送ろうかどうしようか悩んでる、ってのを結構前からやってる)

 

そして私の場合、自分が他人の誕生日を覚えるのが苦手だから、多少日付がずれてからのお祝いも嬉しかったりします。
誤差だよねぇ誤差!!お祝いを伝えてくれるその気持ちに感謝だよ。

 

前も書きましたが、私は誕生日をきっかけに抱負とか目標とかってのを全然しない人なので。
この年齢の私も私らしく毎日過ごしていければいいよねって思います。相変わらずでいたいね。

いくつになっても歳をとる実感が湧かないけど、老けこんでなにかっちゃあ自分をおばさん扱いして若さを羨むよりは、これはこれでいいのかな〜って気がする。

 

いつも通りまとまんないけど!
この歳の私もどうぞよろしくお願いします!

という無理矢理なまとめ文句だぜ!